「トンデモさん」の反撃始まる、が
「ニセ科学」はインターネット時代を生き残れるか? 三田 典玄 2007/09/21 OMN
記事内容については、後半の”ここからは記者の考えだが”以降グダグダなのですが、概ねにおいては問題の無い内容だと思い記事を読みました。
過去の記事をピックアップし、この記事内容を評価することが、適正であるか、否であるか?については私自身の中でも疑問なのですが…。過去のエントリー『あるある番外編 』において、
以前、私が指摘した箇所をもう一度読んでいただきたいと思います。
「ニセ科学」はインターネット時代を生き残れるか? 三田 典玄 2007/09/21 OMN
記事内容については、後半の”ここからは記者の考えだが”以降グダグダなのですが、概ねにおいては問題の無い内容だと思い記事を読みました。
過去の記事をピックアップし、この記事内容を評価することが、適正であるか、否であるか?については私自身の中でも疑問なのですが…。過去のエントリー『あるある番外編 』において、
簡単に言うと、「結論」ありきで、それに必要な都合の良いデータのみを集めて放送した(あるいは作為的に改竄したり捏造した)のが「あるある」であったわけだが、この記事についても『だから、「簡単に解説されたもの」は、まゆにつばして聞く、ということが大切なのだろうと、私は考えている。』と言う結論を導くために、取材不足や検証不足(あるいは無知)による妄想を根拠としている。と書きました。今回も同様に、
インターネットは人々に「知」をもたらし、「無知」を減らした。これからもその傾向はより強くなる。やがて、これらの「科学的検証」がまともにできない商品を扱う業者は、淘汰されていく。もう「これは現代の科学では測り知ることはできない商品」などというものは、商売として成立しなくなる。を導き出すために前半戦が存在したのではないかと憶測してしまいます。但し、今回の記事は前回、私が取り上げた記事内容とは違い、捏造や思い込みが無いので好意はもてます(前半部分のみ)。しかし、それはこの記事内容(事実)について私が知っていたと言う理由からでもあります。もしも、私が知らない内容について「もっともらしく」書いていたならば、それなりの検証時間を必要としたでしょう。それほど信用力の無い記事を羅列していると言うことなのですが。尤も、信頼の於ける人が書いた内容についても、別角度から見た意見などはチェックしますが。
これが「ネットの時代」である。
以前、私が指摘した箇所をもう一度読んでいただきたいと思います。
三田典玄今回の天羽優子氏に対する抗議文と同じ論調であると思うのは私だけでしょうか?
わかりやすいモノ、簡単なモノなんてない
結果として、それが権威によるものであろうと、詳細な解説によるものであろうと、視聴者の頭には、この(A)→(B)という、一番単純な図式だけが頭に残る。逆に言えば「それ以外は聞いちゃいない」のだ。
しかし、別の観点から考えて、「納豆」→「やせる」はいいとしても、毎日、朝昼晩、たて続けに納豆ばかり食べていて、体にいいはずはないだろう。そういう意味で、健康やダイエットの番組は、みな同じ図式で作られていることがわかる。
つまり、簡単にする、ということに注力しすぎたため、結果としてウソにしなければならなくなった、というのが、この番組なのではないだろうか。そういえば、「野菜スープ」とか「紅茶キノコ」だとか、って言うものもあったはずだが、今はとんと聞かなくなった。みな、同じように「A」→「B」という図式だった。
しかし、実際に科学の現場にいた私からすれば、はっきり言って今や、「わかりやすいもの」なんてものは、この世のどこにもない。専門家だからできることが山のようにあるのが、今の世の中だ。
どれもこれも簡単なものはどこにもない。だから「簡単に解説する」と、その解説には「はしょり」や「ウソ」が混じるのは、当たり前だ。つまり複雑な事象を簡単に説明する、という作業は、どこでウソをつくか、どこを説明しないで済ませるか、ということをすることになる、と言っても言い過ぎではない。
それでも、多くの人は「簡単であること」を好む。だから、どうしてもこれから言うことはウソになるかも知れません、という前置きが必要になってしまう「素人向け解説」は、正直なところ、とても多くなることは、覚悟しなければならない。
吉岡英介擬似科学(似非科学)参照
「天羽優子氏の社会認識の誤り」より一部抜粋
通常、製品を販売するときの売り手の口上はどうなっているか。私たちが扱っているマイナスイオン水生成器の例で言えば、以下のようであれば十分である。これで十分なのだが、そこは顧客の心理というものがある。「え、ほんと?どうして?」ということになる。買うのは「結果」を買うのだから、どうして?(科学的根拠)という理屈はそれほど重要ではないのだが、やはり買い手の心理として、納得できる説明をしてもらった方が安心だ。そこで売り手は、「それはですね、これこれ、こういう原理なんですよ」と説明することになる。つまり口上は、
- マイナスイオン水生成器を使うと(原因)
- お風呂が気持ちよくなりますよ (結果)
- ・・・だから、一家に一台、いかがですか?
となる。これが通常の商売のやり方である。「理屈なんかどうでもいいからとにかく買え」という売り手はいないし、それで買う人もいないから、ある程度の理屈は必要だ。
- マイナスイオン水生成器を使うと(原因)
- こういう原理で水が変化して、(理屈)
- お風呂が気持ちよくなりますよ(結果)
- ・・・・・だから、一家に一台、いかがですか?
ところが、大企業ならともかく、わが国において売り手の多くは中小企業であって、どういう理屈でそうなるかをきちんと説明できる人材がいない場合が多い。たとえば中小企業の社長や技術陣が機械工学出身だったとすると、あまり化学的な事柄や生物学的な事柄には精通していないことがある。だから、それらの人々がなんとか活水器を作ってよい結果が出ても、どうしてそうなるのか、その理屈をうまく説明できないこともある。思いこみもあるし、間違って理解していることもあるし、単なるミスプリがあってもなかなか気づかないところもある。さらに、そもそも新しい製品の場合は、現代科学の知識では、なぜそうなるのかを説明できない部分も多々ある。
だから、どうしても2.の「理屈」の部分は手薄になる。しかし、もともと2.の部分は、購入を決断するためにそれほど重要な部分ではないし、買い手にも専門的な知識があるわけでもないから、買い手は適当なところで納得して、「ふ-ん、なるほどねえ」と言って購入する。このとき仮に、科学的説明が不十分であったり間違っていたりしても、その製品がもたらす結果が、売り手の言っていたとおりであれば顧客は満足するし、ビジネスとしてはそれでよいのである。ビジネスは、科学の解説をするのが目的ではなく、要は、3.の「結果」の「お風呂が気持ちよくなりますよ」というところが本当かどうか、買い手が納得できる結果が得られるかどうか、そこが問題であって、物品の売買としてはそこだけが問題なのである。もしそこに虚偽があれば、それは詐欺だからいずれ司直によって制裁される。意図的な虚偽ではなくても、3.の部分に間違いがあれば、その製品は売れなくなるし、場合によっては損害賠償の対象にもなる。虚偽も間違いもないが、なんらかの理由で買い手が満足できなければ、返品制度によって買い手は守られている。こういう仕組みがあるから、たとえ2.の部分に間違いがあっても、3.の部分に間違いがなければ、ビジネスとして許容されるのである