Monkeyのダラダラ日記

ダラダラとやってみます

ぷにきゅー

2007-07-25 | 日記

オーマイニュース、計画性無さ過ぎじゃないの?

画像を拡大


ぷにきゅーのページが全面画像だったので、どうなっているのだろう?と思ったら、上の画像のような状態でした。右側の「準備中です」がなかなか消えない意味がわかったような…。これからドコをどのように修正していくのでしょうか?(こういう場合、修正とは呼ばず、変更だと思うが)。画像のスライスをやり直すのか?画像を変更するのか?いずれにせよ、毎日更新する予定のページがこういう造りでは人的負荷が大きそうです。

2007/07/26追記

あらら。昨日の今日で早速のミス発見。触っちゃいけない所をさわっちゃたのですね。毎日の更新に時間を賭けるより、とりあえず「ココ」に避難してキチントしたものを作った方が良いのでは無いかな。しかし、この画像はチョコチョコいじっているんだなぁ。失礼だが、間違え探しのようで面白い。画像は「コチラ」から

失敗

2007-07-24 | 日記
Click用のボタン作ったほうがカッコイイかな?と思って作ってみたのだが、リンク付画像に枠線がつくのを忘れてた。不細工になっちゃった。CSSいじれば何とかなるのだろうか?

Test

2007-07-23 | 日記
最近のエントリーが競艇一色だったのと、他ブログにてHTML表のことをコメントしたので、明日のドリーム戦の出走表をHTML表で書いてみるTest。

第12回オーシャンカップ 初日12R ドリーム戦 出走表
6号艇 5号艇 4号艇 3号艇 2号艇 1号艇 艇番
3622 4028 3304 3780 3415 3590 登録

山崎智也

田村隆信

烏野賢太

魚谷智之

松井

濱野谷憲吾

選手
71期 86期 60期 76期 64期 70期
33歳 29歳 39歳 31歳 37歳 33歳 年齢
群 馬 徳 島 徳 島 兵 庫 大 阪 東 京 出身
7.13 7.10 7.13 8.51 8.63 7.70 勝率
54.4 44.4 47.6 62.2 68.2 56.8 複勝

追記
長文を書くのには"良い"と思った「テンプレ」だったが、こういう場合には横幅が辛いんだな。競艇の出走表は、競艇専門紙風に作らなきゃ別の表現方法もあるし…。

-- 競艇(動画) --

2007-07-20 | 競艇
   第10回賞金王決定戦 1995/12/24
植木通彦選手の引退にともない、伝説のレースを再度見たいとの思いで探し出したものですが、見るたびに鳥肌が立ち(10回は見た)、競艇に興味を持っていない方にも、是非、見て頂きたいと思いUPしてみました。しばらくTOPに置いておこう。
08/01追記トップからはずしました。

植木選手、お疲れ様でした

2007-07-20 | 日記
Sports@nifty 2007年07月20日
速報・植木通彦、引退会見


有難う。そして、お疲れ様。

やはり、

この言葉しかない。


追記。日刊スポーツの今垣光太郎選手のコメントには泣けました。
植木さんは、人間的に器の大きい人と思います。SGで厳しい結果が出ても、黙って受け止める姿勢は本当に尊敬していました。僕が尊敬の念を抱いていることを知ってか、レース場ではよく話しかけてくれました。『光太郎、負けても、負け惜しみの言葉は対戦相手に言ってはいかんぞ』という助言を、そして常に勝ちにこだわる姿勢を、肝に銘じて走っていきたいです。本当にお疲れ様でした。

【艇王】 植木通彦 【引退】

2007-07-19 | 競艇

嘘だろ!誤報だろ!誰か嘘だと言ってくれ!

以下、スポーツ報知 2007/07/19 17:57 より、全文コピペ

“艇王”植木が引退…
SG10勝、賞金王3度競艇のSG競走で通算10勝を挙げ、3度の賞金王に輝いた植木通彦(39)=福岡=が現役を引退することが19日、分かった。20日の記者会見で正式発表する。植木は1986年にデビュー。93年の総理大臣杯でSG初制覇、笹川賞2勝、賞金王決定戦も3度優勝するなど活躍し、2002年には競艇史上最高の2億8418万4000円を獲得。04年には史上2人目の生涯賞金20億円を突破した。通算成績は4500回出走し1562勝、獲得賞金は22億6184万2369円。

植木通彦(うえき・みちひこ)1968年4月26日、福岡・北九州市生まれ。39歳。小倉商を中退後、86年11月に59期生としてデビュー。初勝利はデビュー1か月後の芦屋。初優勝は3年8か月後の唐津新鋭リーグ戦。SGはデビュー5年目、91年尼崎の全日本選手権。優勝は93年戸田総理杯をはじめ10V(歴代2位タイ・8冠制覇にMB記念を残す)。
引退の理由は何なのだろう?まだ39歳の若さで…。最近の不調さと帰郷病は何かの病気だったのだろうか?なんだか混乱していて旨くかけない。MBを獲ればグランドスラム(全SG制覇)だったのに。せめて、来年、狙うところまでは頑張ってほしかった。今日は無理だけど、後日、キチントしたエントリーを書きます。
平和島総理大臣杯優勝戦でのフライングに対しての「バカヤロー!」が最後の言葉になろうとは。ナンチャッテ復帰ありです、オレの中では。他の誰が許さなくても、オレは許します。

追加 (2007/07/20)

“艇王”植木が突然の引退-。 デイリースポーツ
競艇で“艇王”の名で親しまれた植木通彦(39)=福岡・59期=が19日、全国モーターボート競走会連合会を通じて引退を発表した。引退の理由などは20日、正式に会見を行う予定。SG優勝10回、生涯獲得賞金約22億円。業界の常識を数々覆してきた“艇王”が、競艇選手としては異例の早さ、39歳でヘルメットを脱ぐ。

競艇界に衝撃が走った。一流選手、それも業界のトップに君臨する39歳。65歳の現役選手がいる競艇界では異例の早さともいえる引退発表だ。

競艇を知らない人でも「植木通彦」という名前は聞いたことがあるはず。最高峰のレース・SGを10回制覇(歴代1位は野中和夫の17回。植木は彦坂郁雄と並ぶ2位タイ)、生涯獲得賞金は歴代3位の約22億円を獲得した(1位は今村豊、2位は松井繁)。18日まで鳴門競艇場で出走していたが突然の発表。だが、ここに至るまでの布石はあった。

3月に平和島競艇場で行われた「総理大臣杯」の優勝戦で痛恨のフライング失格。この失格によって売り上げの84%に当たる約17億円が返還された。常に「業界を引っ張る人間として、競艇界を盛り上げていきたい」と願う植木にとって、この返還は精神的なダメージとなった。優勝以外で初めて見せる悔し涙でもあった。

また、現在の規定ではSGの優勝戦でフライングを切ると、向こう1年間、最高峰レースのSGに出場できないルールになっている。1着賞金4000万円のレースに出場できないとなると、トップレーサーとしては当然モチベーションも下がる。

ケガにも泣かされた。1988(昭和63)年1月、桐生競艇場で顔面をはじめ、75針を縫う大ケガで入院。ケガのたびに不死鳥のごとく復活したが、ここ最近は体中に爆弾を抱えた状態。シリーズの途中で欠場することも多かった。

“モンキーターン”という独特な乗艇姿勢を完成させて、競艇界の常識を覆してきた。今日20日、永年功労者祝賀会が行われ、植木自身もデビュー20周年の節目を迎える。そのとき“艇王”は静かにヘルメットを脱ぐ。

競艇のスーパースター植木 突然引退
総理大臣杯優勝戦FがラストSG  中日スポーツ
競艇の植木通彦(39)=福岡=が引退を決意していることが19日、分かった。植木は、20年9カ月の選手生活の間に、最高峰のSGレースで10回優勝。『艇王』として君臨してきた。引退の理由については、20日午後、東京都内で記者会見して発表する。

植木は1986年秋に18歳でデビュー。20歳のとき、桐生競艇でレース中に顔を75針縫う大けがをしたが、半年の入院生活のあと、その桐生で水面に復帰。93年3月、戸田競艇の総理大臣杯でSGを初制覇し、その年から10年連続で暮れの賞金王決定戦(11月末現在で獲得賞金ベスト12が出場)を走り続けるなど、トップレーサーとして活躍してきた。
旋回時にボートの上に立ち上がる『モンキーターン』の先駆者として知られ、その華麗なターンは『不死鳥の舞』と呼ばれた。

賞金王決定戦では3回優勝し、これまでの獲得賞金総額は22億6184万円(歴代2位)にのぼるが、賞金王決定戦の連続出場記録(93年~02年の10回)が途切れたあとは好不調の波が激しくなっていた。ことし3月、総理大臣杯(平和島)で優勝戦まで勝ち上がったが、1番人気を背負いながら痛恨のフライング。来春までのSGレースの出場権を失っていた。

引退の理由は、記者会見で明らかにする、としているが、常々「艇王と呼ばれなくなったら引退を考えます」と語っていて、SGの出場権喪失が引退の引き金になった、とみられている。

▼植木通彦(うえき・みちひこ)1968(昭和43)年4月26日生まれ、39歳。福岡県北九州市出身。165センチ、51キロ、血液型O。連合会養成59期生で86年デビュー。通算4500走1562勝で勝率7・58、生涯獲得賞金22億6184万2369円。優勝74回でSGは10回、G1は23回制し「全冠」にはMB記念を残すのみだった。

歴代1位記録は年間最多獲得賞金(02年2億8418万4000円)、5年連続SG優勝(93~97年)など。夫人と2男1女の5人家族。

植木電撃引退、39歳早過ぎるよ艇王… 日刊スポーツ
艇王が電撃引退する。競艇界の第一人者でSG優勝10回、生涯獲得賞金が22億円を超える植木通彦(39=福岡)が20日、記者会見を行い正式発表する。86年にデビュー。89年にはレース中の事故で全治5カ月、顔を75針縫う大けがをしたが、見事に復活。96年には公営競技では初の賞金2億円を突破するなど数々の記録を更新した。艇王と呼ばれ競艇ファンの信頼も厚かった。

植木は前日の18日まで鳴門競艇場でレースに出場。15~18日までの4日間が、最後のシリーズとなった。一緒に出場していた植木の一番弟子・桂林寛(36=福岡)でさえ、そのシリーズで初めて引退を聞かされたという。植木は「選手としては20年でひと区切り。今節でやめるよ」と語ったという。

86年にデビューした植木は、当時から素質を高く評価されていた。92年にG1初優勝したころから、モンキーターンを使いだす。その高速旋回は競艇に革命をもたらし、一気にスピード時代に突入させた。植木はモンキーターンの申し子として、艇王への道を歩んでいく。96年には公営競技史上初となる獲得賞金2億円を突破。しかし、その道は決して平たんなものではなかった。

復活、復活のレーサー人生だった。1度目は89年の桐生でのレース中の事故で、顔面を75針縫う大けが。「レースへの怖さを乗り越えるために」と、自ら志願してけがをした桐生での復帰を決めた。これが、植木伝説の始まりになった。けがから復帰した4年目の92年、地元福岡でG1を初制覇。翌93年にSG初優勝を飾ると、97年まで5年連続でSGを制覇し、一気にトップの座にまで上り詰めた。

20代は文句なしの成績を残したが、98年からはタイトルに手が届かず、30代の初めのころには限界説が流れていた時もあった。01年に、唐津で4年ぶりにSGグランドチャンピオン決定戦を手にし、2度目の復活を果たした。ヒーローインタビューでは「もうSGは勝てないかと思っていた」と大粒の涙を流した。3度目は05年だった。03、04年は不振で10年連続で出場を続けていた賞金王決定戦の出場を逃した。だが、常滑の笹川賞で2年半ぶり、通算10回目のSG優勝を決めた。野中和夫の17回に次ぐ、彦坂郁雄(引退)に並び歴代2位タイの数字だ。8大競走のうち、あとMB記念を制すれば5人目のグランドスラム達成だったが、これが最後のSG優勝となった。

今年3月の平和島の総理大臣杯の優勝戦では、1番人気に推されながらフライングを切り、優勝戦の売り上げの9割以上となる約17億4000万円を返還。ペナルティーとして、1年間のSG出場権利を失った。選考期間を考えれば実質的にはSG復帰にはもっと時間がかかる。肩などのケガも尾を引き、完全な体調でレースに臨むことが難しくなったことも、引退の引き金になったかもしれない。植木は日ごろ「トップを守れなくなった時が引退の時」と語っていた。最後の出走となった18日の鳴門10R出場の直前までエンジンの整備を続け、「オレも最後の最後まで仕事をするもんやな」と笑っていたというのが、いかにも植木らしい最後と言える。

久々に

2007-07-18 | 日記
WEB用の画像としてタイトルのバック画像を作ってみましたが、「ステンレス_ヘアライン風」を目指したのですが、「木目_オイルステン風」との中間みたいになっちゃいました。久々にやると”ダメ”だなぁ。1つやり始めると、きりが無くて、左右のバックにも同様の画像を入れたくなってしまいます。暇と心のゆとりがあったら更新します。

チョットだけ気になった

2007-07-17 | 日記
【元号と西暦のごちゃ混ぜに難あり】 いつまでややこしいことを続けるのか?岡田克敏(2007-07-15 05:30)
元号と西暦とどちらを多く利用するのか?と問われれば、私の場合は西暦です。ここでは、どちらが正しく、どちらが間違えだとかの論議をするつもりは無いのだけど。
古い話で恐縮だがメートル法と尺貫法の共存時代を持ち出さなくとも、2種類の単位系が並存するややこしさ、不便さはどなたでもお分かりだろう。
コレについては、相手が理解しやすいように単位を使い分ければよい。と、思うだけなのですけどね。メートル法を基準にしてみようと考えてみたところで、海外とのやり取りをする上ではスクエアフィートやエーカーに換算しなければならないし、国内では「坪」のほうがしっくり来ることもある。まぁ、コレは尺貫法とは微妙に違うのだけど。本当はメートル法の方が実生活にあっていない部分も多いのだが、良しとしておく。

このエントリーで書きたいことはそういうことではなく、チョットした小ネタ(Excel)。日付の入力がシリアル値でなかったときの対応法とでも言っておきましょう。

先ず、「2007-07-15 05:30」をこのままコピー&ペーストで、シリアル値:39278.22917が得られます。つまり、表示形式を「yyyy-mm-dd hh:mm」とすれば、「2007-07-15 05:30」と表示され、「ggge"年"mm"月"dd"日 "hh"時"mm"分"」とすれば「平成19年07月15日 05時30分」と表示される。つまり、シリアル値として入力されているのかどうかが問題なのです。これは、表示形式を「aaaa」とすれば、「日曜日」と言う表示も可能なわけです。
「平成19年07月15日 05時30分」は、コピー&ペーストでは文字列として認識されるため、「=LEFT(A1,FIND("日",A1,1))*1+RIGHT(A1,LEN(A1)-FIND("日",A1,1))*1」のような関数が必要になります。

過去の資料の中でよく発見するのは、「20070715」と言う表記。(対象文字列:A1、以下全て)これはシリアル値ではないので、別セルに「=TEXT(A1,"0000-00-00")*1」とすることでシリアル値が求められます。
では「190715」=「平成19年07月15日」の意味。は、どうでしょう?仮に即席で作ったものですが、(そういう入力が無いので…)「=CONCATENATE("h",LEFT(A1,2),".",MIDB(A1,3,2),".",RIGHT(A1,2))*1」これでシリアル値を得ることができます。元号の場合、5桁入力の場合が考えられるので「=("h"&TEXT(A1,"00-00-00"))*1」の方が汎用性は広いか。この関数では、H・S・T・Mは人的な労力が必要。

過去に入力されたデータ(不本意な)であっても、工夫次第で何とかなるものは多いです。ここに示したものは一例にか過ぎません^^;)。

追記2007/07/17
石さんのこれは、「エクセル技道場」に新しいネタが追加されたと言うことだろうか?今のところ、発見できてないが…
http://d.hatena.ne.jp/pasosavi/20070717

トンデモを通り過ぎて

2007-07-13 | 日記
今日はとても気分が悪い。体調とかそういう意味ではなく、とあるブログを見てから、怒りというか、恐怖と言うか、なんとも知れない感じなのだ。問題のブログは、コレ。

【NATROMの日記】 信仰と狂気~吉村医院での幸せなお産

このエントリーのテーマとなったエッセイ「幸せなお産」
このエントリーは、「幸せなお産」について書かれた内容であるが、書かれている内容については私も全くの同感である。もともとのエッセイはかなりの長文なので経緯を私なりに以下に要約してみる。
  1. 大阪で有機野菜・無添加の素材をつかったオーガニック料理をデリバリーする店の店主夫婦が子供を授かった。
  2. 自然分娩を希望していたが、近所の助産院では赤ちゃんの逆子が判明、「逆子は法律上、助産院では産めない」と言われ、大阪の病院では「あなたの骨盤ではこの大きな頭の赤ちゃんの自然分娩は無理だ」と言われた。
  3. 逆子体操などあらゆる手段を試してみたが直らず。
  4. 自然分娩100%の岡崎の吉村医院を頼ることとなる。
  5. 私なりに、ココまでは普通の行動の範囲だと思える
  6. 吉村先生は「バリバリの安産です」と言って受け入れる。
  7. 以前の病院での出産予定日を1ヶ月超過するも放置。
  8. 陣痛が始まってから3日後(生まれでなかった)ようやく転院し(吉村先生の苦渋の選択で、転院を決めた)
  9. 彼らの否定した西洋医学により無事出産するも、2日後に出生児は死亡。

以上である。できる事であればこのエッセイがフィクションであってほしいと思う。しかし、フィクションにせよこのような考え方にシンパシーを感じていなければ出てこないようなフレーズがいくつかある。エッセイの構成を見る限り、時系列的な日記をアップしたものでなく、再編集したものだと考えられる。その上で、事の全てを美化すると言うこと自体私には考えられないことだ。あるいは、事の重みに耐えかねてのことだろうか?この要約を見て疑問に思った(気になった)人はリンク元を読んでほしいと思う。

私はその道(科学や医療)のプロではない。しかし、ニセ科学・疑似科学というものを否定する。なぜなら、自分自身の「いのち」に関わる事もあるからだ。